向上心の低いブログ文章術 第7回:他人の過去を掘り起こさない

米光一成さんの連載「ブログ文章術」:http://blog.excite.co.jp/blog-jutsu/979930/
については、すみません、そのうち……。

id:manameさんから「このネガティブ人間が!」みたいな扱いを受けて愕然としていたら(嘘)、

あのスズキトモユ氏が本気で「ネットスタイルの変革」を信じているとは考えにくい。
一本足の蛸 - どこまで逃げても泥臭い世界

こちらではさらに低く見積もられていた。いや、そこまで悲観的なわけではないのですけど。
ということで、安眠練炭さん(id:trivial)からの反応であります。

これはフリーター問題になぞらえられる類のものではなく、個人がその発言レベルを意識的にチョイスしていくというネットスタイルの変革です。

という言葉のわりに、フリーターやニートに代表される現代日本の社会問題と似ているように感じられたということだ。たとえば「向上心という言葉の罠」という節など、二、三の言葉を置き換えれば、そのままフリーターに向かって「向上心が低い」と言う人への批判ともとれる。

現状を鑑みた場合、実社会とネット界のアナロジーは意識せざるを得ない。しかし、その流れには抗いたい、という反発の感情があるのだと思います。

そこはやはり現実だった
加野瀬未友さん(id:kanose)はネット界が実社会と同じ価値観に塗り変えられていく現状に関して、

 従来のメディアは選ばれた人しか情報発信ができなかったが、ネットは誰にでも情報発信が行えるから、情報が溢れかえる。情報が増えれば、価値付けが必要になる。価値付けが一元化されれば、多様性は抑圧される。それを考えれば、当然の帰結だ。ネットは新しいリアルを作るのではなく、リアルの延長に過ぎなかった。
ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に


と書いています。この連載で僕がまず書こうとしているのは、加野瀬さん書くところの穏やかなプロパガンダなのかもしれません。つまり、気軽に仲間たちと話せる場所をSNSに確保して、でも公の発言の場は閉じないでおくという形の。
ユリイカのブログ特集に寄稿した「ブロガーがネットを発見する」はネットグローバリズムによって片隅に追いやられるネット先住民の絶望(だけ)を書いた文章でしたが、安眠練炭さんが発掘してきたこの発言は、その恐怖を本能的に察知しての反応だったのかも、と思います。
「ネットスタイルの変革」を本気で信じていないわけではなくて、これから搭載されるだろう機能によってそれは充分可能だと思っています。早晩「発言レベルを感覚的に選択」することは当然のこととなるんじゃないでしょうか。

本当はもうちょっと書きたいんですけど、今日は早くに出かけるのでこのへんで。
→第8回