僕の考えるブログ文章術 第6回:向上心が低い

米光一成さんの連載「ブログ文章術」:http://blog.excite.co.jp/blog-jutsu/979930/
についてはぜんぜん触れてませんね。

id:maname さんに反応いただきました。 →2006-03-09 (Thu) 20:31
ということで今回は、説明が足りなかった部分について補足してみようかと思います。
(表現に関するブログ:304 Not Modified でなく、ニュースサイトであるまなめはうすに反論が書かれたのは意表を突かれました。manameさんなりの基準があるのでしょうか?)

向上心が低い

  • 僕の考えるブログ文章術(その1)

すべてはここ。理由は向上心が低いから。ブログは安穏と過ごせる場所ではなく、たいていのブログには広がりなんてないと諦めていること。だったら炎上することがほとんどないmixiに行こう!というのが、良い大学に入っても就職できるとも限らないから勉強する必要なんてないよ、サラリーマンになっても金持ちになれるわけでもなく、逆に責任を持たされるようになるだけだから、生活できるだけの金が手に入るし責任がないフリーターになろうぜ!って言っているのと同じに感じてしまった。
http://homepage1.nifty.com/maname/log/200603.html#092031p3

この指摘については、はっきりと感覚がちがいます。
mixiに代表されるSNSが登場する以前、ネット上で発言するということは誰も彼もが同じレベルの声量で話をしていました。つまり、「全世界に向けて発信」です。
しかし、考えてみれば当たり前のことですが、言葉には「内輪に通じればいい言葉」と「外部に向けた言葉」の2種類が存在します。そして、その2種類を場を変えて使い分けて、自らのアウトプットを意識的に選択していくのが、SNS登場以降のネットなんじゃないかと思うわけです。
「自分の言葉はすべて外部に向けたものでありたい」と考える方はブログ(サイト)だけで発言すればいいし、「仲間内だけのやりとりでかまわない」と考える方はSNSmixi)だけで発言してもよい。「なんでもかんでも全世界発信」ではなく、「発言レベルを意識的に選択」していく時代なのです。

これも考えてみれば当然のことですが、事実誤認、不用意な表現を避けるための労力、隙のない論理の組み立てなど、「外部に向けた言葉」を構築するにはコストがかかります。ネットに使える個人のリソースは有限です。
重要ではないけれどちょっと言及したいだけの発言、内輪だけに通じればそれで事足りる発言、外部に公開したらツッコミが入る可能性のあるいささか迂闊な発言、(若干数いるだろう)アンチが悪意を持って受け止めそうな際どい発言などについては、SNSmixi)でさらっと書き、ブログ(サイト)における外部に向けた言葉は、時間をかけて吟味した、隙のないものにする。リソースの有効活用として、こうなるのはむしろ必然です。

いや、それ以前に、ネットは既にそういう場所なのです。mixi人口が300万人を突破し、大手YahooもYahoo! 360°SNSに参入しました。SNS人口はこれからもどんどん増えていくでしょう。

これはフリーター問題になぞらえられる類のものではなく、個人がその発言レベルを意識的にチョイスしていくというネットスタイルの変革です。
第3回に書いた、『ホテル・ルワンダ』パンフレットにおける町山智浩寄稿文に関する一連の騒動について、

しかしこの衝突、「気がつくってもしかして不幸なことかも」のmahorobasukeさんが、どこかのSNSで書いてさえいれば、何の問題もなく避けられた衝突でありました。mahorobasukeさんの不幸は、ブログという場が、迂闊な文章を書く人間に対してけっこう厳しい場所であることを知らなかった点にあります。

と書きました。これは彼女を擁護しているわけではなく、SNSという「チラシの裏」に書いてればよかったのにという個人的な感想にすぎません。
最近、炎上したブログに出くわしますと、コメント欄にしばしば「ここは外部なんだから不用意な発言は咎められて当然だな」に類するコメントが見られます。たしかにそれはごもっともなんですが、多少迂闊な発言を許容できなくなっているのなら、たいへん窮屈なことだと感じます。

SNSもブログの一種と考えれば、複数のブログを持つときに注意すべきことという記事が私の意見。もし目的が同じならば、移動しましたでいいと思う。

ここまで書いてきたことでおわかりかと思いますが、SNSとブログを使い分けることと、複数個のブログを持つこととは、まったく意味合いがちがいます。

向上心という言葉の罠

この自主連載を始めた理由のひとつとして、ネットで見られる「ブログ論」に違和感を覚えたことが挙げられます。
その多くが「とにかく始めよう」「コメント欄やトラックバックを用いて積極的な意見交換をしよう」「文章力を向上させよう」と妙にポジティブで、そして本質を見失っています。

われわれがすべきことは、ブログというツールを通じてネット社会とどうかかわっていくかを各人各様に試行錯誤し、最適解を見つけることであって、ブログ有効活用コンテストやベストエントリ文学大賞への参加ではありません。

もちろん、ブログを更新し続けることで文章力が向上したならば、たいへん素晴らしいことだと感じます。
しかし、豊かなブログ生活を送るために文章力の向上、文章の研鑽が必要だと謳うのは本末が転倒しています。
仮にその言説にしたがって、文章力を向上させてみたとしましょう。それはやはり文章力というスキルを獲得したというだけの話であって、実り豊かな(なんじゃそりゃ)ブログ生活が送れるかといえば、まったく別問題です。それは語学力を高めれば、多くの資格を取得すれば、豊かな人生を送ることができるという言説にさも似たりです。

第1回冒頭において、僕は

ブログの文章がどうのとか考える前に、まずブログを書くことで、自分がどうしたいのか、その欲求を自覚するところからはじめましょう。

と書きました。各人の欲求は異なります。異なった欲求によりブログに対するアプローチも変わってきます。そして、かかわり方に応じて、文章のスタイルも変化します。

「向上心」という言葉のもとに、そのスタイルをひとつに規定してしまうことは、たとえそのスタイルがいかに素晴らしいものであったとしても、危険な発想です。それは実質的にはポジティブな思考停止に他ならないのではないでしょうか。

→第7回:他人の過去を掘り起こさない