「ぼくだけはわかっている」

おなかがすいたのでオリジン弁当へと出かけた。
いつもは面倒だから買わないグラム売りの惣菜を買ってみようかと思う。
次から次へととっているうちにトレーの上がいっぱいになってしまった。
レジの前に並んだ。
順番がきた。
バーコードリーダーをあやつっているのはぼくの知っている顔だ。
レジの向こうに足を踏み入れてはいけないことはなんとなくわかっている。
わかっている。
踏み入れてしまう。
そこはもう弁当屋ではない。
机が一面に並んでいる。
どうやら今後の展開に関する会議のようだ。
ホワイトボードの前には1人の女が立つ。
この女が誰かは憶えている。これがじつは会議ではなく、自分の方針に関する説明会であることもわかっている。
他人の意見を聞く耳なんかない。
みんな楽しそうだ。
ぼくも楽しそうなふりをした。
小馬鹿にされてることもしらないで本当に楽しそうに笑う。
いや、みんなも本当はわかっていて、でもそれに気づいてしまうのは寂しいからわからないふりを続けているのかもしれない。
ぼくみたいに。
お弁当を持って帰ることにした。
「じゃあね」
もう2度と来ることはないんだけれど。
まるで何かから逃げるように駆け足で帰った。
家に帰った。母親が待っている。
弁当屋と同じようなバーコードリーダーが置いてあって、買ってきたお惣菜を通す。お惣菜のパックにはバーコードなんかついていない。でも、通す。
エラーが出た。
どうやらレジでカウントされていないパックがあったようだ。
これはわざとだ。あの場所にもどる口実が欲しかったのだろう。
誰が?
でももどった。
雨が降りはじめていた。霧も出ていた。
霧に覆われた世界の中を小雨に濡れながら走っていった。
そこはもう弁当屋ではなかった。多目的ホールにも見まがうような立派な建物だ。
ぼくが帰ったあとのパーティーはいつだって賑わっている。
たくさんの教室があって、そこは生徒たちであふれていた。
ある教室に入って席についた。
ここも生徒たちでいっぱいだ。
楽しげに談笑をしている。
その中で黙って座っている。
部屋が暗くなる。
部屋全面に用意されたスクリーンで映像が流れはじめた。
それは専門学校生が課題でいやいや仕上げたような安っぽいCGアニメで、円錐形や円筒形や球体といった単純なオブジェクトがときおり思いついたようにカクカク移動するといった、まるで鑑賞に耐えない代物だった。
映像が終わった。
天井のスピーカーから今流れた映像の解説が聞こえる。
「これ、CGに見えますが、じつは実写なんですね――」
みんながどよめく。
「なんと、この映像を取るためにウン億の予算が使われたそうです」
アホか。
あまりにアホらしいので教室から抜け出すことにした。
いつのまにか、迷路みたいになっている。
出口がわからなくてうろうろしてるうちにある教室に迷い込んだ。
どうやら音楽教室らしい。みんなリコーダーをくわえている。
そこで講師らしき人間に呼び止められた。
ぼくはこんな人間を知らない。新しい人間だろうか。
その男は唇の端からつばだか泡だかわからないものを飛ばしながら、口汚くぼくを罵りはじめた。
その言葉が止んだかと思うと、大きくあけた口の中からまるで生物のように蠢く舌が伸びてきた。
舌かと思ったものは白く大きなナメクジのようなもので、それはぼくに向かって飛びかってきた。
どうやらこれが彼の本体らしい。
とうとうここまで陳腐になってしまったか、とがっかりしながら、その場から逃げ出す。
教室を出て、後ろを振り向くと、講師を先頭にリコーダーを手にした生徒たちが追いかけてくるのが見えた。
駆け足のスピードを上げる。
さんざん逃げ回ってなんとかまいたみたいだ。
ほっとしていると、不意に1人の女が目の前に立ちふさがった。
もうだめか、と思っていると、それは中学の同級生だった。
「ひさしぶり」
名前を思い出す。
「たいへんね」
「大丈夫、ぼくは消えることができるから」
知らなかった。
生徒たちが追いかけてくる。
ぼくは消える。
消えるといっても姿が見えなくなるだけらしい。気配も消えるらしいけれど、実体がなくなるわけではないのでつかまったら終わりだ。囲まれないように必死で逃げる。
逃げる。
逃げる。
逃げていった。